2006年8月25日
今秋、日本に投入される新型マスタング。その初代モデルが発表されたのは1964年4月17日、ニューヨーク万博でした。発売初日は注文が殺到し、販売店の前にはテントを張って順番待ちをする人で溢れました。以来マスタングブランドは40年以上に渡り様々な伝説を残しながら、アメリカはもとより世界中で愛されています。
コンセプトから実現まで
1960 - 63: フォード・モーター・カンパニーは、第2次大戦後生まれの「ベビー・ブーム」世代をターゲットに、ファン・トゥ・ドライブな「パーソナル・カー」の開発を決定。このパーソナル・カーは名称が未定で、フォード・ファルコンの派生型となる予定であった。社内デザイン・コンペが行われ、後に「ポニーカー」の愛称で長く親しまれることになるロングノーズ・ショートデッキと鋭い造形の開口部というデザイン・コンセプトが選定された。
最初のマスタングは1962年のマスタングIコンセプト・カーで、ミッドシップ・エンジンの2シーター・スポーツカーであり、第2次大戦の伝説的名戦闘機P51マスタングにちなんで名付けられた。このクルマは、その年の10月、ニューヨーク州ワトキンス・グレンのユナイテッド・ステーツ・グランプリで、ダン・ガーニーの運転によりデビューを飾った。
1964: 1964年4月17日、ニューヨーク州フラッシング・メドウズのニューヨーク万博会場で初代マスタングが世界初公開された。
排気量170cu:inの6気筒エンジン、3速フロアシフト・トランスミッション、フル・ホイールカバー、パッド付ダッシュパネル、バケットシート、およびカーペットが標準装備されていたが、重量はわずか2,572ポンド(約1,170Kg)、発売時の価格は2,368ドルであった。
発売時の販売計画は年間販売台数100,000台だったが、初日だけで22,000台もの注文があり、最初の1年間の販売台数はなんと417,000台に達した。
通常生産の最初の1台は、排気量260cu:inのV8エンジンを搭載したウィンブルドン・ホワイトのコンバーチブルで、1964年3月9日にラインオフした。この車は数奇な運命をたどった。販促ツアーでカナダのニューファンドランド州セントジョンズのディーラーに運ばれた際、「誤って」販売されてしまったのである。買ったのはイースタン・プロビンシャル航空のパイロット、スタンレー・タッカー機長であった。フォードは1966年に生産1,000,001台目のマスタングとの交換というかたちで、タッカー機長からこのクルマを返還してもらった。現在は、ミシガン州ディアボーンのヘンリー・フォード博物館に展示されている。
1965: 306hpを発揮する排気量289cu:in V8エンジン搭載のシェルビーGT350が登場した。
1966: この年の3月、マスタングの販売台数は100万台を突破した。1965年10月、フォードのエンジニアが1966年型マスタング・コンバーチブルを4つのセクションに分解し、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルディングの86階展望デッキまで乗客用エレベーターで運び上げた。このマスタングは、このフロアに駐車した最初で最後のクルマになった。
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